追いつけそうで追いつけない獲物を逃すまいと、6人の狩人たちは灰色の壁の切れ目を曲がった。
6対2という圧倒的有利な状況に、それも、こちらが追いかける側という申し分ない立場に、彼らは二手に分かれるという保険を選択しなかった。確かにボムの破壊力は脅威だが、それでも注意さえ怠らなければ避けるのは簡単だ。そして、狙いすました銃撃のほうがはるかに命中率は高いのだ。
ただ待っていても手に入る勝利を完全なものにするために、彼らは勇んでいた。
角を曲がった先で、2人組はすぐ向こうの四つ角を曲がるところだった。男が先に消え、走るのが下手な少女も数歩送れてそれを追う。
焦点を定める前に消えた標的に苛立ちを募らせつつ彼らは後に続いた。
「行くよ!」
「よし、来い!!」
50メートル先は壁。完全に袋小路の行き止まりだ。
5歩の差をあっという間に20歩の差に広げた灰崎の背をめがけ、涼子は走る。
先に壁にたどり着いた彼がくるりと身体の向きを変えた。背中を壁に押し付けて両足を踏ん張り、腰を落とす。両手はバレーのレシーブのように低く膝の前で組んだ。
追いかけてきた6人が角を曲がる足音が、バラバラと聞こえる。
一瞬驚いたようにそれらが乱れた。
誰かの、撃て、の声と共に、赤い光線が涼子めがけて幾本も伸びる。
涼子は走った。彼めがけてまっすぐ、迷わずに。
ほんの十数分前、息を切らしていたのとはまるで違う、しなやかな走りだ。
彼女の身体を掠めていく光線は、けれどすんでのところで追いつかない。
身体を低く倒していた涼子は、最後の3歩を大股に、上体を起こしながら駆けた。みようみまねの三段跳びのように。
踏み切りは前ではなく上へ、力いっぱいに跳ぶ。
低重力の中を、少女の身体はふわりと浮いたように見えた。
それが最高点に達する直前、灰崎が組んだ腕を跳ね上げた。
涼子の足を捕らえ、そのまま上へ放り上げるように振りぬく。
勢いを殺さない、完璧なタイミングだった。
宙を跳んだ涼子の身体が、3メートルの壁を越える。
向こう側の通路に落ちる間際、立ち上がった灰崎が、ありったけのボムを振り上げているのが見えた。
着地のことを全く考えていなかった涼子は、無様に膝から落ちる。けれどその落下音も悲鳴も、すべてが連続した爆発音にかき消された。
痛みをこらえる彼女の耳に、ホイッスルにに似たアラームが響いた。
慌てて左手に視線を落とせば、丁度残人数の表示が変わるところだった。
2−0。
そして数字に重なるように『YOU WIN』の文字が点滅する。
ゲーム終了を告げるアナウンスが流れる中、涼子は信じられない面持ちでその文字を眺めていた。
「それにしてもさあ」
自転車を押して坂道を昇りながら、隣を歩く友人が肩をすくめた。
「今思い出しても、アンタってば無茶なことしたわよね」
「何の話?」
唐突な話題に、涼子は唇を尖らせて見せることで不満を示した。
太陽はオレンジ色に褪せ、長い影が2人の行く手を案内するように伸びている。
「高校最後の遠足。遊園地行った時のこと」
カラカラと回る車輪の音が、少し間延びする。
「ああ、あれ、ね」
涼子は、一瞬沈黙してから、苦笑を浮かべた。
人類が宇宙にまで棲家を求め始めても、空の青さも赤さも、黒さも、さしてわりはしなかった。地表の重力は相変わらず1Gを保っている。
高校を卒業した涼子は、友人と共に地元の大学に進学した。高校の頃とほとんど変わらない自転車での通学だ。
高校最後の大イベントだったあのゲームは、いまだに同級生の間で語り草になっている。
「見てるこっちはハラハラしっぱなしだったし」
「やってるほうもギリギリだって」
「だったら、さっさとゲームアウトすればよかったじゃない」
「や、さすがにソレは……」
「でも、ホントさ、いろいろ突っ込みたいところはあるわよ」
まさかの逆転劇。
フロアの外で中継映像を見守るチームメイトたちも、誰一人として信じていなかった。
涼子を壁の向こうに放り投げ、突然のことに反応しきれないまま突っ込んでくる敵に向けてボムと銃の波状攻撃を浴びせた。結果、彼はたった一人で6人を倒し、勝利を手にしたのだ。
負けたほうも、外で見ていた者たちも、皆あっけにとられた。
「あんたにしてもそうよ。跳ぶとかもう、普通ありえないし。ゲーム始まる前よたよたしてたのと、同一人物だなんて思えないわよね」
「あ、あれは……」
最後の廊下にたどり着く前、灰崎が彼女に告げた作戦。無茶だと思ったのは涼子も同じだった。
「だって、私が出来ることって言ったらそれくらいだし……」
意表をつく行動、それが彼女に出来る精一杯のサポートだったのだ。それさえも、灰崎の手を借りてのことではあったが。
「だからって跳ばないって」
「そう、かなあ」
「一時間前によたよたふらふらしてたのに、跳べると思うほうがおかしいわ」
首を傾げた涼子は、自信なげに呟く。
「大丈夫って言われたし、大丈夫かな、と……」
その言葉に、友人は今度こそ茜色の空を仰いで嘆息した。
「わかった、あんた流されやすいわ。自信満々に言い切られたらあっさり信じて頼っちゃうタイプよね」
「そんなことないって!」
流石に反論しようとする涼子の声をさえぎるように、携帯が鳴り始める。
「あ」
着信音で相手を判断した彼女の口元が、瞬間ほころんだ。
「電話?」
「ううん、メール」
携帯を取り出し、画面を確認したことで、その表情はなお一層笑みを深くする。
「あーもー。幸せなことで」
相手が誰か気付いた友人は、肩をすくめた。
「流されやすいっての、もう一つ根拠見せてあげるわ。あんた、その彼と付き合うのも思いっきり勢いだったじゃない」
「そ……」
「違うって言うならちゃんと反論して見せなさいよ。ゲーム終わっていきなり告白されて、即答した理由をね」
ゲームが終了し、皆が集まっているフロアに迎えられた二人は、大歓声で迎えられた。特に通路が分かれてしまったことで合流に時間をとられた涼子は、灰崎が全員からもみくちゃにされているところに到着した。
もう一人の功労者だと讃えられ、注目を浴びることに困惑した涼子の前に灰崎が進み出、その場で告白したのだ。
「せめて、せめて悩むとか、戸惑うとかさ。そういうのあるでしょうが」
驚く周囲をよそに、涼子はあっさりと、そう、なんの躊躇いもなく頷いた。
それは、告白した本人さえもほんの少しばかり驚いたほどの即答、だったのだ。
「ゲーム始まるまで、灰崎くんのことなんとも思ってなかったでしょ? むしろ苦手なタイプだと読んでたんだけどさー」
その指摘は正しく、的を射ている。
反論できない涼子は困って下を向いた。
「ま、一目ぼれでも流されても、1年続いたら心配いらないと思うからいいんじゃない?」
「なによそれ、なんかひどいー!」
「ひどいと思うなら、さっきの質問、納得できる返事を頂戴よ」
からかうだけからかわれて一方的に話を纏められ、涼子は眉間に皺を寄せて唸る。
けれど、事実を捉えた言葉に反論などできるわけもない。友人にはさすがに秘密にしているが、灰崎の方もゲームの前までは涼子はただのクラスメートの一人でしかなかったというのだから。
「いい答え期待してるからさ。それより、メール、待ち合わせなんじゃないの?」
「あ、うん。待ち合わせの時間と場所、連絡きたの」
遊ばれている感は否めなかったが、話題を逸らすには好機だと涼子は頷いた。
灰崎は、少し遠くの大学へ進学した。必然的に逢える回数は少なくなり、お互い時間を作って待ち合わせをしなければならない。
けれど、驚くほどにマメだということが判明した灰崎のこまめな連絡のおかげで、不安はまったく感じなかった。
「どこ?」
「角のコンビニ。もうきてるって」
「そっか。じゃ、お邪魔したら悪いし、先行くね」
長い坂の終わり、街並みを見下ろせるほどの高台で、友人は自転車にまたがった。
「灰崎くんによろしく。じゃ、涼子明日ね」
「うん、ありがと」
一蹴りで進み始めた自転車は、下り坂を見る間に加速して曲がり角を消えていった。
涼子は、メールに返事を返してから自転車に乗った。
下り坂を飛ぶように走る。風が正面から顔をたたき、息が出来ないくらいの強さで身体が押さえつけられる。それに逆らって彼女は背筋を伸ばした。
風を胸で受けることで、身体がふわりと持ち上がるような感覚が沸き起こる。
それは、あの時、一瞬だけ空を跳んだ感覚に一番近いものだった。
このまま手を離せば、どこまでものぼってっていけそうな錯覚。
自転車がバランスを崩す直前に姿勢を戻した涼子は、大きなカーブに備えてハンドルを握り締めながら、次のデートはあの遊園地がいいと言ってみようかと考えていた。